まめばん

No18

たこ焼きの呪縛

7th October 2024

私には姪が1人いる。姪に一番好きな食べ物は何かと聞くと、たこ焼きと答える。ただ、たこは好きじゃないらしい。だから厳密にはタコの入っていないたこ焼きが一番好きなのだ。そういうと、たこ焼きじゃないやんって、自分や周りはツッコむのだが、実は気持ちがすごく分かる。今でこそ、たこ焼きにはタコがあってなんぼだが、小さい時は自分もあまりたこ焼きに入っているたこが好きでなかった。たこ焼きを食べる時は、まず全てのたこ焼きを切開して、まずタコを全部食べてから、残りの部分を食べるなんてことをしたこともある。

たこ焼きは、美しい球体の粉物という唯一無二のアイデンティを持ちながら、たこ焼きというネーミングにしてしまったが故に自らの可能性を大きく潰してしまっていると思う。例えば、お好み焼きが豚玉として広まってしまっているようなものだ。お好み焼きといえば、海鮮や、もちチーズ、明太子、色々な具材を楽しめるのが魅力的だ。しかし、もし、豚玉として広まっていたら、そうはなっていないだろう、もしくは頼むたびに、豚玉ちゃうやんとツッコマれてしまう。たこ焼きはそういう状態なのだ。逆にお好み焼きというネーミングは、素晴らしい。好きにしてくれと、焼いているくらい何も商品の情報が入っていない。無限に可能性を秘めているのだ。そんなお好み焼きに豚を入れると、先ほどいった豚玉になる。こんなにも幅を利かせているお好み焼きが、たこ焼きのアイデンティである、玉を使うことによって、さらにたこ焼きを潰そうとしている。どう考えても、玉はたこ焼きのものだろとツッコみたくなる。

さらに辛いことに、たこの価格が近年、高騰している。だから、タコを入れないとアイデンティを保てないたこ焼き、タコを入れたくないお店の人、たこはなくてもいい・他の味を楽しみたい消費者という、なんとも歪な状態になっているのだ。

この状態を打破するために、たこ焼きの上位概念の言葉を作ってはどうだろうか。お好み焼きが大カテゴリで、豚玉が小カテゴリであるように、たこ焼きを小カテゴリとして、大カテゴリの名前を考えるのだ。例えば、シンプルに焼や玉とかはどうだろうかこうすると、焼き玉のタコとか、焼き玉のもちチーズとかかなり便利になる。これに伴ってタコパは、焼き玉パになる。少し物騒な気もするが、彼らこそタコ以外の邪道を好むので仕方がない。

慣れ親しんだたこ焼きの名を変えられると、強烈な違和感や抵抗感を覚える人も多いだろう。しかし、長い目で見てたこ焼きを救うには、どこかの世代がこれを受け入れ、未来に繋げる必要があるのだ。